情報計数学科30周年記念誌


私の駆け足30年


藤井美知子(4期生)


私は昭和37年、宇部短大附属中学校に入学してから、今年で33年間香川学園に縁があります。 中学校の時、その当時は宇部短期大学は家政科のみでしたが、入学してしばらくすると、 短期大学に”電子計算機”というものを扱う学科ができるらしいという話が聞かれるように なりました。当時はその学科でどんな教育がされるのか当然知りませんでしたが、”電子計算 機”という言葉にひかれ、その学科に入りたいと思うようになりました(と、同時に私は家政 科向きではないとその頃から自覚していましたので)。現在の情報計数学科が私が中学校の時 憧れた学科なのです。私が高校1年の時(昭和40年)、工業計数科ができました。そして、初め て、コンピュータを見ることができたのは短大入学前の3月ころ、高校の担任の先生が石丸先生 をよくご存知で、入学予定の3人を短大に見学に連れて来て下さったときです。その時、石丸先 生と福田先生に初めてお会いしました。

広々とした計算機室(現在の情報計数第2演習室とそのとなりの小さな部屋)にFACOM 231が置いて あり、福田先生が説明して下さいました。そして、短大に入学してしばらくして計算機室に入 ると、さらにもう一台別のコンピュータ(宇部電子計算センターのFACOM 230-20)がところ狭しと 置いてあり、活気あふれる部屋になっていたのには驚きました。

まさかそれからズーと情報計数学科にいて、30周年記念誌に関わることになるとは夢にも思って いませんでした。

吉田先生から、夏休み前に字が一字も埋まっていない真っ白な原稿用紙を渡された時、「藤井先 生が一番永いのだからお願いします。」と言われましたが、杉原先生も私と同じで情報計数学科 の関わりは27年です。先生は、私たち4期生が入学した年に宇部短期大学に勤務されました。 ですから、勤めてからの年数は杉原先生が1番、2番が吉田先生と私、なのですよ!、吉田先生。 それにしても、その日から私の悩みがはじまりました。何を書いたらよいの?テーマがしぼれな い!!ついに2ヶ月経ち、今日で夏休みも終わり、提出期限は5日オーバー。数日前、河口さんの 研究室で私が「書けないよー」とブツブツ言っていましたら、その場にいらっしゃった杉原先生、 吉田先生、高本先生、河口さん、そして藤永先生が、やさしく!!いろいろな提案をして下さい ました。そして私に昔のいろいろなことを思い出させて下さいました。その時の話のことを書く ことにします。そうすれば、卒業生には現在の各先生方の様子も思い浮かべていただけるのでは ないでしょうか。

高本先生「藤井さん!私のもとを去った男性達、というタイトルで書いてみてはどう?」。 杉原先生ほか先生方そして私、みんな一瞬、え!?。高本先生「市山先生、福田先生ほか、 辞められた先生方のこと、そして亡くなられた石丸先生のこと」。私たちはタイトルの意味が判り 、 納得しましたが、高本先生は相変わらずこのような発想がわいてでて何年経っても変わられません 。

亡くなられた石丸先生とは、17年間研究室が同じでしたので、本当にいろいろな思い出があります 。 私が勤めて10年位経ったとき、石丸先生から「藤井は勤め初めのころ自分の研究室に入るのにノッ ク をしていた。」と言われました。私「そうかもしれません。石丸先生がちょっぴり怖くて無意識に ドアをたたいていたのでしょうね。」と話をしたことがありました。一見、怖そうで取り付きにく い先生でしたが、先生方のことや学生の面倒をよくみて下さっていました。学生との親睦で海岸に 行くときには、前もって、潮の満ちひきを調べて貝ほりができるように考えて下さったり、勉学の 面 でも遊びの面でも一生懸命接して下さる先生でした。亡くなられてもう4年半になられるのですね。

杉原先生「昔は親睦旅行もあったし、学生と東京に研修旅行に行っていたなー」。そうそう。東京 への研修旅行は杉原先生と私が引率した年(昭和53年7月:工業計数学科13期生)が最後で、翌年 から福岡方面になったのです。私は東京の研修旅行は2度付き合いました。今は徳山高専に勤められている市山先生と昭和50年に学生を引率して、富士通の川崎工場や東京大学の大型計算機センター などを見学しました。10期生の赤尾さん、徳坂さん、山形さん達20名弱の人が参加しました。宿泊 は2度ともオリンピック村(オリンピック記念青少年総合センター)で、昭和39年の東京オリンピックの時選手の宿泊施設として建てられたものなので、とても古くてなかなか宿泊するには苦労の多 いところでした。でも宿泊料金がたいへん安くて学生への負担を少しでも減らせたのではないかと 思います。杉原先生との時のことで忘れられないのが、夜、新宿へ学生19名を連れて行ったときの ことです。杉原先生「みんなしっかりくっついて離れるんじゃないよ。歌舞伎町というところは怖 いところだから決してみんなから離れてはいけない!」そして、やっとみんなが入れる喫茶店を見 つけたころは既にオリンピック村の門限がせまっており、急いでジュースを飲み、電車にとび乗り 、 後は駅からみんなマラソンで滑り込みでした。あれから私は新宿に行くたびに、杉原先生の言葉を 思い出し、高本先生にも「歌舞伎町は恐ろしいところ、決して近づいてはいけない。みんなから離 れてはいけない。」と言い続けているのです。

吉田先生と河口さん「実習のことを書いたら?」、私「ウーン、有りすぎる。」でも何よりもおか しかったのが、紙テープの時代での実習の時(注:現代人には話が通じないかもしれませんが)、 ある学生が、FORTRANのプログラムをパンチした紙テープを実習室に持ってきて、紙テープ読み取 り装置にセットしました。スタートボタンを押しました。ところが、終わりがあるはずの紙テープ に、終わりがありません。首からかけるレイのように輪になっているのです。始めと終わりを糊で くっつけたのです。何期生の誰でしたでしょう?男子学生だったと思いますが。授業をしていて、 一番学生のことが見え、学生とのコミュニケーションがはかれるのが実習だと思います。 情報計数学科の実習に使われた計算機は汎用機、パソコン、ワークステーションといろいろ変わり ましたが、情報処理教育には実習が欠かせません。情報計数学科31年目からの実習も学生がきっと 色々なエピソードを作ってくれるでしょう。そして、40周年あるいは50周年記念誌の時困らないよ うに、つれづれなるままに、書き留めておきましょう。

というわけで、私に課せられた夏休みの宿題のおかげで私の30年間を駆け足でふりかえることがで きました。ついに、今日で夏休みが終わりになりました。私の手助けをして下さいました、杉原先 生、吉田先生、高本先生、河口さん、そして、昔の話を楽しそうに聞いて下さった藤永先生ありが とうございました。

(宇部短期大学情報計数学科)


宇部フロンティア大学短期大学部(旧 宇部短期大学)