情報計数学科30周年記念誌


計数科での思い出


現 徳山工業高等専門学校 教授
[ 1996.4より 兵庫大学 教授 ]
市山 寿男


宇部短期大学工業計数科が創設された頃、 私は九大工学部電子工学科の栗原研究室 におりました。そこへ石丸力也先生が研究生として短期間お見えになり、プログラ マ養成(現在の言葉でいえば情報処理技術者教育)を目的とした高等教育機関が 日本にも誕生したことを知りました。しばらくして脇坂先生が来られ、栗原先生と新 学科の教員採用などを相談されました。そこで山口県出身の私に白羽の矢が立った 次第です。前例が無く、かつ未来への可能性がある新学科に、私も興味と期待を抱 いたことを覚えています。

着任前に宇部短大を訪問し、新造学長にご挨拶をしたり、学科創設の功労者のお一 人である神谷先生、既に面識のある石丸先生、脇坂先生たちから説明を受けたり、 今後の相談などをしました。

思えば、私が計数科にくるときにお世話になった5人の先生の中で、脇坂先生以外 は既に故人となってしまわれました。30年という時の流れを感じます。4人の先生 方のご冥福をお祈り致します。

私が着任したのは計数科創設の翌年5月で1期生と2期生がいました。手元にある ガリ版刷りの古い計数科同窓会会報に、私が徳山高専に移ったときのメッセージが あります。駄文から少し引用させて頂きます。 「…僕の最初の講義は1期生が2年のときでしたが美人がずらっと並んでいたた めに、アガッテしまったのか、上着をとって冷(?)汗かきながらやっと終え、お まけに上着を忘れたまま研究室に帰ったのも、昨日のことのように思われます。… 」

私が初講義を終えてほっとしていると学生がドアをノックしたので思わず「質問で すか」と言ったところ、1期生の桑里子さんが「先生、忘れ物です」と言って私 の上着を届けにきたのでした。学生が質問にくるのは良い講義だ、と聞かされてい ただけに気落ちしました。

最初の頃は大変苦労しましたが、また楽しいものでもありました。

学科の教育・研究のインフラストラクチャである電算機室は、石丸先生のお力で既 に整備されていましたので随分と助かりました。問題は教員とカリキュラムです。

何しろ日本で最初の学科ですから、教員については自前で育成しなくてはなりませ ん。ソフトウェアに関しては山大の数学を卒業されたばかりの福田敏宏先生、それ から2期生の江木鶴子さん、4期生の藤井美知子さん、少し遅れて高本明美さんな ど、皆で勉強しながら一人前に育ったように思います。

カリキュラムと教育方法に関しては、目の前の数十人の学生だけを対象とせず、そ れこそ日本に於ける情報処理教育を視野に置いて議論したように思います。学会や 色々な所へ見学・調査に出かけたりもしました。これについては、私の九大時代の 先輩である広島大学の吉田典可先生から「ACMカリキュラム68」を参考にせよ、 との貴重な示唆を頂きました。

九大からは栗原先生、田町先生などが特別講義にお見えになり、その都度有益なご 指導を受けることができました。

また短い間のご在職でしたが、田村三郎先生に数学基礎論の指導を受けたことも忘 れられません。先生の呼掛けで発足した情報科学研究会の果たした役割は、大変大 きいものがあります。そのお蔭で、山大工学部、宇部高専をはじめ他校の先生と幅広 く交流できました。

実に多くの人たちの力をお借りして、計数科は誕生し育ったと言えるでしょう。

計数の30年は私の30年でもあり、色々と思いがけないことも起こります。そ の一つは親子二代にわたる教え子を持ったこと、もう一つは短大での教え子と高専 での教え子が同じ職場で働いていることです。

徳山高専の推薦入試面接のときのことでした。目の前にいる女子中学生が何処かで 会ったような気がするのですがどうしても思い出せません。彼女(江原由香)は合 格しました。学科の新入生オリエンテーションのときは最前列で私の話を聞いてい たので、面接のときと同じ思いがますます強まりました。その晩、母親からの電話 で計数3期生同志の江原裕治・公子(旧姓西本)夫妻の長女であることが判りました。 どちらか一方だけに似ていれば直ぐ判ったのに、半分ずつ似ていたので思い出せなか ったのだろうと、大笑いした次第です。二代目は無事卒業し、下松の日立笠戸工場 で先輩・後輩と一緒に元気で働いています。

現在、宇部短大時代の教え子の子供が土木建築工学科に二人在学していますが、 その一人、5期の長棟育江(旧姓中川)さんの長女が私の応用数学の授業を受けています。

次の話ですが、情報電子工学科の女子学生が大和ハウス工業に就職したいと言って きたことがありました。同社には計数科5期の中村享一君がいますので早速 相談しました。 幸い就職試験に合格し彼の下に配属されました。大和ハウスには、建築科出身の高 専卒は入社後2年すると大学卒と同一の社内昇格試験が受けられる制度があります。 しかし彼女の場合その点が不明確だったのが気懸かりでしたが、2年後同社を訪問し たところ受験させて頂き合格していたことが判りました。彼には本当にお世話なっ たと感謝しています。

その後中村君は別の部署に移られましたが、彼女は後見人(?)の手を離れ、一人前 の技術者に成長して頑張っているようです。

かなり前に、広島の三菱重工に高専から男子が始めて就職し、事務計算部門で働い ていました。彼には不向きではないかと気になって職場訪問をしたところ、そこで 計数科3期の三国博行君に会いました。 三国君が職場のベテランとして重きをなしている様 子を見て嬉しく思うと同時に、彼が高専卒業生をよく指導しくれていたので安心し ました。

このような例はまだまだ有りますが、この程度にしておきます。

最近、大学時代の先輩から「伝統は守るべきものではなく、活かすべきものである。 」という含蓄のある話を聞きました。「伝統を守れ」という言葉が進歩を妨げるた めにしばしば使われることへの批判ですが、彼が強調したのは「進歩のために伝統 を活かしてこそ、真に伝統を守ったことになる」ということでした。

工業計数科、工業計数学科、情報計数学科と積み上げてきた30年の伝統は、多くの 人の共有財産ではないかと私は思います。これからの情報処理教育の進歩のために、 それを活かして頂くことを願って終りと致します。


宇部フロテンィア大学短期大学部(旧 宇部短期大学)