情報計数学科30周年記念誌


回想短片


岡田 章(1期生)


私が当学科に入学したのは昭和40年のことでした。 短期大学としては全国における最初の 情報処理専門教育機関として、宇部短期大学開学5年目に新設された学科の 1期生です。

今、メディアでしきりに報道されている新幹線が前年開業しています。 設置されたcomputerは、同じ年に導入された山口大学工学部と同じ富士通製 FACOM 231 で、前年ニューヨークの世界博に日本で初めて出展された日の丸コンピ ュータでもありました。

当時の新造学長先生から卒業後にいただいたお手紙には、「いつやめるか、いつやめ るか案じていたが、よく卒業された、うれしい。君の将来と、後輩のために期待してい る」と激励され、入社後の教育期間中の川崎の寮で、何度も何度も手紙をくり返し読ん だものでした。

あれから30年たったことを、30周年記念編集委員の方から“想い出“執筆の依頼 を受けしみじみと感じております。

私は、はずかしがり屋ですから当時、異性のクラスの皆さんとはあまり会話ができず、 気をきかせた福田先生と石丸先生が私の相手をしていただいたと思っています。福田 先生と二人で数日かけて四国半周の自転車旅行にでかけたものです。途中ではぐれ、出 発当初の一晩の野宿と、帰着日が一緒だけの不安な旅行を続けたことを今でも四国に行 くたびに思い出します。

石丸先生は勉強には意外に厳しい所があって、反対に、卒業させなくてはならないと 厳しく教えていただいたのかも知れませんね。福田先生には失礼ですが、福田先生は学 友、石丸先生は学問の先生だと言えます。

その石丸先生が4年前(平成2年2月)逝去されました。私は連絡を受け蒼然自失し ました。卒業後も何度か先生を訪れる事があったのですが、前年暮れに突然先生から会 社に電話があり、「年が明けたらイギリスとスペインとアメリカとオーストラリアに行 くから、君の会社の現地に連絡をとって、私が行くことを伝えて欲しい。あちらがよく わからないので、空港に迎えに来て欲しい。君も一緒に行って欲しい」と依頼が来たの です。行かれる事の連絡ならまだしも、手配まで必要だと言われるので不審に思って、 まわりに聞くと「最近あちらこちらで、先生とは思えない言動が目についている」と教 えていただき不憫に思っているところでした。 病気を苦に相当アルコールをたしなまれてい る様でしたが、すぐにかけつけた夜、先生のお顔を見せていただき、そのお顔は本当に ホッとされたようで、私達が教えていただいた若い頃の先生そのままでありました。手 をにぎり、ありがとうございましたと深く頭を下げました。 同期の皆様にこの紙面をお借りして、先生の最後をご報告申します。

新造学長先生のお手紙に 「正面のスミレ、チューリップの花は新入学生を歓迎し仕事を終え、バラにその席を譲 って春の匂いを引きたてて居る」とのくだりがありますが、あれから同じことが何年か くり返され、また昭和51年学長先生がなくなられた後も何年かくり返されたことでし ょう。同じことがくり返されるということは、それは大変なことであると考えます。情 報計数学科を継続するための努力と苦闘に挑戦された学長先生を始めとする教職員の方 々に頭が下がると共に深く感謝いたします。

最近の情報システム部門に属する環境は、著しい変貌を遂げており、環境に対応でき ない者はどんどん切り捨てられています。年功序列制も完全になくなりつつあり、学歴 も重要視されなくなっています。仕事の評価は目標管理制度の達成度により、年間所得 が決定されます。男女の差別も、他部門にくらべ、情報システム部門では、本人の努力 にもよりますが、なくなっていると言っても過言ではありません。

決心され、当学科で学んでいらっしゃる後輩の皆様方、企業人になられて腰かけで勤務 されるのではなく、どうぞご自分のご専門を更に専門化していただき、国際企業人とし て活躍していただきたいと考えます。皆様方の時代は日本人としてではなく、国際人と しての考え方が必須であると考えます。

情報計数学科が現在の活気ある姿を伝え聞きますに、そのかげに杉原先生をはじめとす る多くの方々のご苦労とご協力があると思い及びます。

当学科が時の移り変わりに適宜に対応していただき、短大の特徴である企業が即、必要 とする専門職の育成にご尽力くださいますことを祈念して止みません。

(富士通(株))


宇部フロンティア大学短期大学部(旧 宇部短期大学)