情報計数学科30周年記念誌


1/23の経験


大久保 芙美子(3期生)


私は、只今46歳。ゆびおり数えると卒業して26年経ったことになります。短大時 代は、今までの人生の1/23に相当します。もし平均寿命まで生きられたならば・・ ・など、何から書いてよいのやら思い悩んでいます。

短い2年間でしたが、現在の2年間に比べると密度が高かったようにおもわれます。 勉強より、ダンパへよく行きました。行かなかったダンパはなかったと思います。ダン パに行った夜は、友人宅に泊めてもらったりしたこともあります。親元を離れて兄貴一 人の監視下で、思う存分、羽をのばしました。そんなウワツイタ私と違って、真面目に 学生運動(?だと思うのですが、意識が低い私は後日わかった次第です)に立ち向かっ ている友人もいました。今から思えば、赤面してしまいます。ダンパの次は、スケート 場通い。というのも、宇部にスケート場ができた機会に、同好会を作って毎日のように 行って、クロス、インエッジサークル、バックなどなど、指導員の方に教えてもらって 、氷面を見つめて練習しました。その割りに運動神経の鈍い私は、上達しませんでした 。スケート同好会の夏期合宿をお寺(どこのお寺か覚えていません)でしましたが、何 の練習をしたのか全く覚えがありません。ただやってみたかった、やらねばならないと 思ったのか(?)今考えると、いい加減なはなしです。そんな日々を送って、そろそろ 卒業という頃、友人達と「成人映画を観に行こう」と意を決して観に行った映画が、カ トリーヌ・ドヌューヴ主演の「昼顔」という芸術作品だったと、後日わかって大笑いで す。今思い出しても、おかしくなります。実をいうと、その時の無念さを埋め合わせた い思いで、就職後、再度試みました。女同士でポルノを鑑賞しに行ったのですが、映画 館の中は、殆んど男性ばかり。女同士は我々だけ。心細く、緊張して観ていましたが、 なにやら後部座席の男性がコーラ片手に横へ接近してきたので、映画もコーラもソコソ コに逃げ帰ったありさまです。結局、何を観たのかよく分かりません。またまた大笑い です。

さて、遊びの話はこのくらいにして、チョット襟をただして、計数学科3期生として 受けた教育について、頭をシボッテ思い出すことにします。素敵(というより少々変わ った方もいらしたようにおもいます。・・・失礼!!)な先生方にお会いできたのも、 短大です。英語の高橋先生、教材は「星の王子様」で、教材も面白ければ、先生は尚更 面白い。先生の奇人変人ぶりは、超一級だったことだけ覚えています。その高橋先生が 発起人で会長(?)の「変人会」に、数学の田村三郎先生も入られていました。先生の 講義は、代数学でしたが、教えかたは丁寧で、外国映画みたいに机にお尻をチョットの せて、説明をされたものです。聴講しているときは、魔術をかけられたみたいに良くわ かるんですが・・・。外で会っても、どこかのお父さんみたいな風情でした。次は、オ ートマトン(マトンを焼く自動機械?・・間違っていればお許しを)の入門を講義された 、私達の担任だった市山先生。先生には、就職後も何度も奢ってもらってお返しをして いません。もっともお返しは、後輩達にすればいいとよく仰っていましたから、 いいのか な。後日先生に聞いたはなしですが、計数学科で初めて講義をした時、女性が多いので あがってしまって、上着を教室に忘れてしまったとのこと。もっとも、女性ばかりと いっても、30人位です。先生の純情(?)ブリが伺われます。また、先生には卒論の 指導も受けました。卒論のテーマは、2期生から引き継がれてきたもので、小学校の 文章問題をコンピュータに投入して、演算式と解答を出力する解法をみつけてプログラ ミングする言語処理(?)でした。プログラムはS-2(アセンブラ)で作りました。 アセンブラといっても機械語に近いもので、命令は’22’といった具合の数字で表現 されたものです。卒論グループは、4〜5人だったとおもいますが、私の分担は鶴亀算 (??)だったように思います。締切ギリギリまでグループと頑張って徹夜した時、市 山先生も大イビキをかいて我々とつきあわれたことを覚えています。ところで私はプロ グラミングをしたか否か覚えていません。外野でギャーギャーやっていたのかもしれま せん。

その当時短大にあったコンピュータは富士通の FACOM 231 で入力装置は紙テ ープ、補助記憶装置は磁気テープ、メモリは4kキャラクタ(キャラクタだったとおも います)で、プログラムをコンピュータに投入する時、コンソールパネルの「チャリ チャリ」と音がする計測器のダイヤルみたいなものを'22'に合わせて、スタートボ タンを押したように覚えています。現代は、パソコンですらメモリがメガバイト単位 ですから、想像を絶する伸び率です。横道にそれますが、コンピュータのメモリの伸び 率に比べると、給料のそれは寂しい。初任給の10倍位でしかありません。私の体重は というと、10kg増え、ウエストは10cm太くなり、その頃の面影はどこかへいっ てしまいました。鏡の前に立ってはタメイキばかりです。また、先生の話にもどります が、もう一人変人である統計、プログラミング演習の福田先生、もう亡くなられた石丸 先生、コンパでアリランを歌って踊られた杉原先生、我々のお姉さんみたいな存在の西 岡さん(今は福田先生夫人)、非常勤講師では物理の神谷先生、OR(オペレーションズ ・リサーチ)の平田先生、微積分の田村敏雄先生と、お名前をあげていけばきりがありま せん。こうした多くの先生方に囲まれて、教育を受けられたことを感謝しています。 1、2年生合わせて60人くらいでしたから、恵まれた環境だったとおもいます。

記憶の底に沈んでいる小石を一つ一つ拾い上げてみましたが、チョット間違った石を 御披露したかもしれません。間違いがあれば、同窓会でお会いした時にでも指摘して下 さい。それでは、情報計数学科に在籍されている皆さん、できれば短大時代の思い出作 りに励んでください。私の後悔はもっともっと勉強すれば良かったということ。(今で も後悔の日々です。)

((株)富士通山口情報)


宇部フロンティア大学短期大学部(旧 宇部短期大学)