情報計数学科30周年記念誌


30周年を迎えて


鳥居恵子(10期生)


情報計数(工業計数)学科30周年、おめでとうございます。

私は10期の入学で、ついこの間卒業したような気がしていましたが、 早いもので20年も経ってしまいました。あの頃は、コンピュータが現在の ような身近な存在ではありませんでしたが、私は、人があまりしないような 事がしてみたくて、工業計数学科を選択したように記憶しております。計算機の 事を勉強できる大学は、めずらしかったと思います。入学して、工業計数学科を 卒業された先輩方が、色々な分野で活躍しておられるのを知り、びっくりしました。 学生時代は、何が何だかわからないまま授業をひたすら受講し、時には合ハイ やダンスパーティなどに行ったりして、あっという間の2年間でした。今は亡き 石丸先生の卒研では、FACOM 231の機械語で簡単なアセンブラ言語を作成しようと いう、今になって考えれば、能力以上のとんでもないことに挑戦したものだと つくづく感じています。石丸先生が、いつもお昼ご飯にラーメンを召し上がり ながら、不出来な私達に、何度もご指導をして下さったことは昨日のように思い 出されます。

演習では、香川高校と短大の2ヶ所で計算機実習が行なわれました。パンチカー ドは貴重でした。いつも、紙テープに手で孔をあけたり、テープとテープを糊で 貼ったりして、何度も修正をしながら実習をしていたような気がします。実習は バッチ処理で、なかなか順番が来ない上に、バグだらけだったので、正常なプロ グラムを仕上げるためには、かなりの時間を要しました。そのため、フローチャ ートを書いたり、机上デバッグをしている時間が、実習時間の大部分を占めてい たような気がします。また、あの頃の計算機は非常に高価で、今思えば、学生の 私達が自由に実習させてもらっていたことが、何か不思議に感じられます。

その他、英文タイプ、システムプログラム、電子工学、オペレーションズリサ ーチ等、たくさんの勉強をしました。卒業以来見た事のない通知表を、今懐かしく 見てみますと、何とたくさんの科目を受講したものだと、我ながら感心します。 内容こそ多少違うでしょうが、今でもりっぱに通用する科目ばかりだと思ってい ます。

卒業して今の職業につき、私は短大で計算機の勉強をさせて頂いたお蔭で、現在も 計算機に関わる仕事に携わることが出来、幸せに思っています。職場では、計算機が 少しわかるというだけで、色々な仕事をさせてもらうことができました。最初、 中型汎用計算機のACOS-77NEAC400システムを任すと言われ、何の経験もない私に とって、手探りの毎日でした。そして、教務関係の全てをコンピュータ化しようと いう教務システムプロジェクトに参加しました。その時に、短大でCOBOLを習った ことがたいへん役に立ちました。また、誰でもが思うように、学生時代にもっと 勉強しておけばよかったと思うと共に、学生時代にやっていた勉強の意味が、 社会に出て、やっとわかったような気がしました。

家庭では、結婚をして子供ができ、親の立場になりました。この間まで子供 だった自分と、子供のことを心配して行動する自分があり、不思議な気がして います。本人の気持ちは子供の頃とちっとも変わっていないと思ってはいるの ですが、最近では、頭に白髪もちらほらして、少し年を感じています。子供が 小さい頃は仕事と家庭が忙しく、何もかもが中途半端だったような気がして いました。しかし、子供の手も少し離れ、何か今の自分とは違う自分を見つけ たいと思うようになりました。それで、最近では色々な試験に挑戦したり、趣 味をふやそうとつとめています。

現在、仕事の方は、主にネットワーク関係とデータベース関係の仕事をして います。近頃では、パソコンを持っている人も多く、コンピュータを専門に仕 事をしていくということは、より高度な知識が必要になり、なかなか難しいよ うに思います。計算機の発展もめざましく、若い人の頭の回転の良さにはかな いません。でも、破壊されていく脳の細胞より、新しくできる細胞の方が1個 でも多いように努力していきたいと考えています。そして、いつまでも目標を 持って、ひとつひとつ達成していけたらと思っています。何といっても、人生80 年、まだまだ先は長いのですから。来年からは、夜間の大学に通うつもりにし ています。

(徳山工業高等専門学校))


宇部フロンティア大学短期大学部(旧 宇部短期大学)