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大序  鶴が岡の段

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daiichi dan
底本の一部

(1996年1月14日現在)
¥T 仮名手本忠臣蔵 *
L1¥J地中¥¥/嘉肴{かかう}有「リ」といへども¥Jウ¥¥/食{しよく}せざれば/¥Jウ¥¥其味{そのあぢはひ}をしらずとは。
¥Jハル¥¥/国治{くにおさまつ}てよき/武士{ぶし}の¥Jウ¥¥/忠{ちう}も/武勇{ぶゆう}も¥J中¥¥かくるゝに。¥Jウ¥¥た
とへば/星{ほし}の/昼{ひる}見へず¥Jウ¥¥夜「ル」は/乱{みだ}れて¥Jハル¥¥/顕{あら}はるゝ。/例{ためし}を爰に
¥Jウ¥¥/仮名書{かながき}の¥Jヲロシ¥¥S/太平{たいへい}の/代{よ}の。/政{まつりごと}。¥Jユリ地色中¥¥比は/歴応元年{りやくおうくはんねん}¥Jウ¥¥二
月/下旬{けじゆん}。¥Jウ¥¥/足利将軍尊氏公新田義貞{あしかゞしやうぐんたかうぢこうにつたよしさだ}を¥J色¥¥/討亡{うちほろぼ}し。
¥Jウ¥¥/京都{きやうと}に/御所{ごしよ}を/構{かまへ}¥Jウ¥¥/徳風{とくふう}四方に/普{あまね}く。¥Jハル¥¥/万民{ばんみん}草のごとくにて
¥Jフシ¥¥/靡{なびき}。/従{したが}ふ御「ン」/威勢{ゐせい}。¥J地色中¥¥国に/羽{は}をのす/D{つる}が/岡{おか}¥Jウ¥¥八幡宮御/造宮成就{ざうゑいじやうじゆ}し。
¥Jハル¥¥御/代参{だいさん}として¥Jウ中¥¥御/舎弟足利左兵衛督直義公{しやていあしかゞさひやうへのかみたゞよしこう}。¥Jウ¥¥鎌倉に/下着{げちやく}なりけ
れば。¥Jウ¥¥/在{ざい}鎌倉の/執事高武蔵守師直{しつじかうのむさしのかみもろなを}。御「ン」/膝元{ひざもと}に人を見/下{おろ}す/権柄
眼{けんぺいまなこ}。¥Jウ中¥¥御/馳走{ちさう}の役人は。/桃井播磨守{もゝのゐはりまのかみ}が弟¥Jウ¥¥/若狭{わかさ}「ノ」助/安近{やすちか}。¥Jウ¥¥/伯州{はくしう}の
¥Jウ¥¥/城主塩冶判官{じやうしゆゑんやはんぐはん}高/定{さだ}。¥Jハル¥¥/馬場{ばゞ} 先 「キ」に¥Jウ¥¥/幕{まく}/打廻し¥Jフシ¥¥/威儀{ゐぎ}を/正{たゝ}して相「イ」/詰{つむ}る。
¥J地色ウ¥¥直義仰出さるゝは¥Jハル中¥¥いかに師直。¥J詞¥¥此/唐櫃{からひつ}に入「レ」置「キ」しは。兄尊氏に/亡{ほろぼ}されし
/新田義貞{につたよしさだ}。/後醍醐{ごだいご}の天皇より/給{たま}はつて/着{ちやく}せし/兜{かぶと}。敵なからも義貞は
/清和源氏{せいわけんじ}の/嫡流{ちやくりう}。/着捨{きすて}の/兜{かぶと}といひながら。其儘にも打置「カ」れず。¥J地ウ¥¥/当社{とうしや}
の御蔵に¥Jウ¥¥/納{おさめ}る条¥Jハル¥¥其心得有べしとの¥Jウ¥¥/厳命{げんめい}なりと/宣{のたま}へは。¥Jウ色¥¥武蔵「ノ」守/承{うけたまは}り。
¥J詞¥¥是は思ひも/寄{よら}ざる御事。新田が清和の末なり迚/着{ちやく}せし兜を/尊敬{そんきやう}せば。
御/籏下{はたした}の大小/名{めう}清和源氏はいくらも有。¥J地ウ¥¥/奉納{ほうのふ}の義然るべからず候と。¥Jハルウ色¥¥/遠
慮{ゑんりよ}なく言「ン」上す。¥J詞¥¥イヤ左様にては候まじ。此若狭「ノ」助が存るは。是は/全{まつた}く尊氏公の
御/計略{けいりやく}。新田に/徒党{ととう}の/討洩{うちもら}され御/仁徳{じんとく}を/感心{かんしん}し。/攻{せめ}ずして/降参{かうさん}さする
御/方便{てだて}と存奉れば。/無用{むよう}との御/評義{ひやうぎ}/卒尓{そつじ}也と。¥J地ハル¥¥いはせも果ず。¥J詞¥¥イヤア/師直{もろなを}に
むかつて/卒尓{そつじ}とは出過「キ」たり。義貞討「チ」死したる時は大わらは。/死骸{しがい}の/傍{そば}に/落
散{おちちつ}たる兜の数は四十七。どれがどふ共見しらぬ兜。そふで有ふと思ふのを。/奉納{ほうのふ}
した其跡でそふでなければ大きな恥。なま/若輩{じやくはい}な/形{なり}をしてお尋もなき/評義{ひやうぎ}。
¥J地ハル¥¥すつとんでお居やれ¥Jウ¥¥御前「ン」よきまゝ¥Jウ¥¥出る侭に。/杭{くゐ}共思はぬ詞の大/槌{づち}。¥Jウ¥¥打込れて¥Jウ¥¥せき
立色目¥Jウ色¥¥塩冶引「ツ」取「ツ」て。¥J詞¥¥コハ御尤成「ル」御評義ながら。/桃井{もゝのゐ}殿の申さるゝも/納{おさま}る代の/軍
法{ぐんほう}。¥J地ウ¥¥是以「ツ」て捨られず/双方全{さうほうまつた}き直義公の。¥Jハル¥¥御/賢慮仰{けんりよあをぎ}奉ると。申「シ」上れば¥J色¥¥御/機嫌{きげん}
有。¥J詞¥¥ホヽさいはんと思ひし故。/所存{しよぞん}有「ツ」て塩冶が/婦妻{ふさい}を召「シ」連「レ」よと言付「ケ」し。是へ
/招{まね}けと有ければ。¥J地色ハル¥¥はつと/答{こたへ}の程も¥J中¥¥なく。/馬場{ばゞ}の/白砂{しらすな}¥Jウ¥¥/素足{すあし}にて/裾{すそ}で¥Jハル¥¥/庭掃{にははく}/襠{うちかけ}は。
¥J長地ウ¥¥神の御前の玉はゞき玉も/欺{あざむ}く/薄{うす}¥J中¥¥/化粧{けしやう}。/塩冶{ゑんや}が妻の¥Jウ¥¥かほよ御前。¥Jフシ¥¥/遥{はるか}さがつて/畏{かしこま}る。
¥J地ハル¥¥女「ゴ」好「キ」の師直¥Jウ色¥¥其儘声かけ。¥J詞¥¥塩冶殿の御内/室{しつ}かほよ殿。B前「ン」より/嘸{さそ}待/遠{とを}御太義
++。¥J地ウ¥¥御前「ン」のお召「シ」近「カ」ふ++と¥Jハル¥¥取持「チ」顏。¥Jウ色¥¥直義御らんじ。¥J詞¥¥召「シ」出す事外ならず。/往元弘{いんじげんかう}の
/乱{みだれ}に。/御醍醐帝{ごだいごてい}都にて召「サ」れし兜を。義貞に給はつたれば。/B期{さいご}の時に/着{き}つらん
事疑ひはなけれ共。其兜を誰「レ」有「ツ」て見しる人外になし。其比は塩冶が妻。十二の
/内侍{ないし}の其内にて。/兵庫司{ひやうごつかさ}の女官「ン」なりと聞及ぶ。嘸見知「リ」あらんず。覚「ヱ」あらば兜の
本「ン」/阿弥{あみ}。¥J地ハル¥¥/目利{めきゝ}++と女「ゴ」には。¥Jウ¥¥/厳命{げんめい}さへも/和{やは}らかに。¥Jフシ¥¥お受「ケ」申「ス」も又なよやか。¥J詞¥¥/冥加{めうが}に余る君の
仰。夫「レ」こそは私が。明「ケ」暮て/馴{なれ}し/御着{ごちやく}の兜。義貞殿/拝領{はいれう}にて。/蘭奢待{らんじやたい}といふ名「イ」
香を/添{そへ}て給はる。御取次「キ」は則「チ」かほよ。其時の/勅答{ちよくたう}には。人は一「チ」代名は末代。すは討死せん
時。此/蘭奢待{らんじやたい}を思ふ儘。内兜に/燻{たき}しめ着「ル」ならば。¥J地ウ¥¥/鬢{びん}の/髪{かみ}に¥Jハル¥¥/香{か}を/留{とめ}て。名「イ」香
かほる首取しと¥Jウ¥¥いふ者あらば。¥Jウ¥¥義貞が/B期{さいご}と¥Jウ¥¥思召「サ」れよとの。詞はよもや/違{ちが}ふまじと¥Jウ¥¥申「シ」上
たる口元「ト」に。¥J中ヒロイハル¥¥下心有師直は。¥Jフシ¥¥小/鼻{ばな}いからし聞居たる。¥J地色ハル¥¥直義くはしく¥J色¥¥聞し召「シ」。¥J詞¥¥ヲヽ/詳{つまびらか}成「ル」かほよが
/返答{へんたう}。さあらんと思ひし故。落/散{ちつ}たる兜四十七。此/唐櫃{からひつ}に入「レ」置「イ」たり。¥J地ウ¥¥見分「ケ」させよと¥Jハル¥¥御
上/意{ゐ}の下侍。¥J中ウ¥¥かゞむる腰の/海老錠{ゑびぢやう}を。¥Jハル¥¥明「ケ」る間/遅{おそ}しと¥J中¥¥取出すを。おめず¥Jウ¥¥/臆{おく}せず立寄「ツ」
て。¥Jハルフシ¥¥見れば所も。¥J中¥¥名にしおふ。¥Jウ¥¥鎌倉山の¥Jハル¥¥/星{ほし}兜。¥Jウ¥¥とつぱい/頭{がしら}¥Jウ¥¥しゝ頭。扨/指{さし}物は家々の¥Jフシ¥¥流義
++に寄「ル」ぞかし。¥J地中キン¥¥/或{あるい}は。/直平{ちよつぺい}筋兜。¥Jウキン¥¥/錣{しころ}のなきは。¥Jハル¥¥弓の為。¥J中¥¥其主「シ」々の/好{このみ}迚。¥Jウ¥¥数々多き其
中にも。¥Jウ¥¥五/枚{まい}兜の/竜頭{たつがしら}是ぞといはぬ其内に。ぱつとかほりし¥J中キン¥¥名香は。¥Jハルウ¥¥かほよが/馴{なれ}し義
貞の兜にて御座候と¥Jフシ¥¥指出せば。¥J地ウ¥¥左様ならめと一/決{けつ}し¥Jウ¥¥塩冶桃井両人は。¥Jハル¥¥宝蔵に/納{おさむべ}へし
こなたへ来れと御座を¥J中¥¥立。¥Jウ¥¥かほよにお/暇{いとま}給はりてだんかづらを¥Jウ¥¥過「キ」給へば。¥Jウハル¥¥塩冶桃井両人も¥J中ヲクリ¥¥打
連「レ」Sてこそ入にける。¥J地色ウ¥¥/跡にかほよは¥Jハル¥¥つきほなく。¥Jウ¥¥師直様は今暫し。御/苦労{くらう}ながらお役目を。¥Jウ¥¥お
/仕舞{しまひ}有「ツ」て¥J色¥¥おしづかに。¥J詞¥¥お/暇{いとま}の出た此かほよ。長居は恐れおさらばと。¥J地ハル¥¥立上る袖/摺{すり}寄「ツ」て¥J色¥¥じ
つとひかへ。¥J詞¥¥コレまあお待「チ」待「チ」給へ。けふの御用仕舞次第。其元へ/推参{すいさん}してお目にかける物が
有「ル」。幸「イ」のよい所召「シ」出された直義公は我為の/結{むす}ぶの神。御存「ジ」のごとく我等/哥道{かだう}に心
を寄「セ」。吉田の/兼好{けんかう}を/師範{しはん}と頼日々の/状通{じゃやうつう}。其元「ト」へ/届{とゞけ}くれよと/問{とひ}合せの此書状。
いかにもとのお返「ン」事は。口上でも苦しうないと。¥J地ウ¥¥袂から袂へいるゝ¥Jハル¥¥/結{むす}び文。顔に似合ぬ様
参る¥Jウ¥¥/武蔵鐙{むさしあぶみ}と¥Jウ¥¥「イ」書たるを。見るよりはつと思へ共。¥Jウ¥¥はしたなう恥しめては/却{かへつ}て夫「ト」の¥Jウ¥¥名の
出る事。持「チ」帰つて¥Jウ¥¥夫「ト」に見せふか。¥J中ウ¥¥いや++夫「レ」では塩冶殿。¥Jハル¥¥/憎{にく}しと思ふ心から/怪家{けが}¥Jウ¥¥/過{あやまち}にも
ならふかと。¥Jフシ¥¥物をもいはず¥J色¥¥投返す。¥Jウ¥¥人に。見せじと¥Jウ¥¥手に取上。¥J詞¥¥戻すさへ手にふれたりと思ふにぞ。
我文ながら捨も置「カ」れず。くどうは言ぬ。よい返「ン」事聞Xは。くどいて++くどき抜「ク」。天下を立ふ
とふせふ共儘な師直。塩治を生「ケ」ふと殺そふ共。かほよの心たつた一「ト」つ。何とそふではある
まいかと。¥J地ウ¥¥聞にかほよが/返答{へんたう}も。¥Jハルフシ¥¥涙ぐみたる計なり。¥J地色ウ¥¥折りから/来{き}合す若狭「ノ」助。/例{れい}の/非
道{ひだう}と¥Jウ¥¥見て取「ル」/気転{きてん}。¥J詞¥¥かほよ殿まだ/退出{たいしゆつ}なされぬか。お/暇{いとま}出て隙どるは。¥J地ウ¥¥/却{かへつ}て上への恐れ
¥Jフシ¥¥早お帰りと追「ツ」立れば。¥J地ウ¥¥きゃつ扨はけどりしと。¥Jノル¥¥/弱味{よはみ}をくはぬ高「ノ」¥Jウ¥¥師直。¥J詞¥¥ヤア又してもいはれ
ぬ出過「キ」。立てよければ身が立「タ」す。此度の御役目。/首尾{しゆび}よう/勤{つとめ}させくれよと。塩治が
/内証{ないしやう}かほよの頼。そふなくて叶はぬ筈。大/名{めう}でさへあの通「リ」。/小身{せうしん}者に捨/知行{ちぎやう}誰「レ」がかげ
で取「ラ」する。師直が口一「ト」つで五/器{き}/提{さげ}ふも知「レ」ぬあぶない身「ン」代。夫「レ」でも武士と思ふじゃXと。
¥J地ハル¥¥/邪广{じやま}の/返報{へんほう}にくて口くはつとせき立「ツ」¥Jウ¥¥若狭「ノ」助。¥Jウ¥¥刀のこゐ口/砕{くだく}る程¥Jスヱテ¥¥/握{にぎ}り。/詰{つめ}は¥Jウ¥¥詰たれ共。
¥J中ウ¥¥神「ン」前也御前「ン」也と¥Jハル¥¥一旦の/堪忍{かんにん}も。¥Jウ¥¥今一言「ン」が¥Jウ¥¥生「キ」死の。¥J色¥¥詞の先「キ」て/還御{くはんぎよ}ぞと。¥J中¥¥/御先{みさき}を/払{はら}ふ声
々に¥Jハル¥¥詮「ン」方なくも/期{ご}を/延{のば}す。無念は¥Jウ中¥¥胸に忘られず。¥Jウ¥¥悪「ク」事/悖{さかつ}て/運強{うんつよ}く¥Jウ¥¥切「ラ」れぬ高の¥Jハル¥¥師
直を。¥Jウ¥¥あすの我身の¥Jウ¥¥敵共。¥J中キンウ¥¥しらぬ塩治か跡押「サ」へ。¥Jウ¥¥直義公は/悠{ゆふ}々と/歩御{ほぎよ}¥Jハル¥¥成「リ」給ふ御「ン」/威勢{ゐせい}。
¥Jウ¥¥人の兜の/竜頭{たつがしら}御蔵に入「ル」る数々も。四十七字の¥Jウ¥¥いろは分「ケ」¥Jウ¥¥かなの兜を/和{やは}らげて。兜/頭巾{づきん}の
¥Jウ¥¥ほころびぬ国の。¥Jウ¥¥/掟{おきて}ぞ三重S¥J上¥¥久かたの。*

江木鶴子 Mail: egi@ube-c.ac.jp
前田桂子 Mail:maeda@frontier-u.jp