NO.57東見初炭鉱
(出典)市制記念宇部市写真帳

説明
炭坑で働く人たちにとって、一番恐ろしいことは坑内の事故である。落盤で天井が落ちてくる坑内では逃げる途がなくなる。炭坑の人たちは、事故のことを「非常」と言い、落盤のことを「抜ける」と言う。宇部の石炭景気を、西の沖ノ山炭坑と二分していた東見初炭坑では、大正4年4月、大落盤事故があって、死者235名を出した。
 明治41年竪坑の開鑿に着手。宇部岬の西海岸に立地。『本邦鉱業の趨』(大正7年)によると、鉱業権者藤本閑作、鉱区面積1,754,376坪 鉱夫数2064人 鉱産額244,188トン(1,385,696円)。宇部に西の沖ノ山炭鉱、東に東見初炭鉱と2つの大炭鉱を現出した。

作成者:尾崎 絵里