No.147福原邸前の老松(昭和戦前期)
(出典)絵はがき 宇部市十二景ノ内
説明
・参宮道路を北に進み、琴崎八幡宮の少し手前から左に入った高台の上に福原低跡がある。
・福原氏は関ヶ原の戦いで豊臣方に味方した毛利氏の永代家老で、毛利氏が中国地方の大大名から防長二国 の大名と小さくなったときもお供をして下ってきて、初めは吉敷を給領地としていた。
・寛永2年(1625)配置替えがあり、宇部・川上・生雲・束荷(つかい)などの領主となった。
・当職としての務めがあるので日頃は萩に低をかまえていた。ここの低は私邸で、村人たちは「お館(たて)」とよ んでいたという。そして、このあたりは宇部郷の中心という意味で「本郷」といっていた。
作成者/冨永恵