No.174 坑内エンドレスに炭車をつなぐ(昭和戦前期) |
(出典) |
説明 宇部の炭坑では、昭和23年に鉱内電車も走るようになって一度にたくさんの人や石炭を運ぶこともできるようになった。 炭抗がもっと栄えたのは昭和26年から28年にかけての頃だった。 昭和27年、宇部興産(株)は沖ノ山、東見初、西沖ノ山、本山の各炭鉱をあわせて宇部鉱業所で組織した。 宇部鉱業所の他にも多くの炭坑があった。石炭は黒ダイヤと呼ばれ、お金もたくさん儲かった。 石炭景気で町は大変にぎわった。 |
作成者 楢崎 由佳 |