No.213 大正期の宇部新川市街
(出典)絵葉書 長門宇部
説明
沖ノ山炭鉱も、新川尻埋立地に開さくした本坑が、沖合に進むにつれ採炭切羽から離れ過ぎたため、 約500間沖合の地に百間角の築島を構築し、竪坑3坑と斜坑を開さくした。以後しばらくの間は、本坑と新坑の間を船で往き来した。
沖ノ山炭鉱は明治30年の創立以後、西新川の松浜から新川尻に進出し、さらに沖合に鉱区を拡大し、宇部を代表する海底炭鉱に成長した。 新川尻埋立地には、累々と鉱夫長屋が連なった。
大正時代の宇部新川市街。大正になると瓦屋根が奨励されたがまだ残存。多くの柱は帆船マスト。
作成者:橋本 郁奈