No.244笠井順八(小野田セメントの創始者)
説明
日本舎密(せいみ)製造株式会社の誘致、道路建設、石灰開発、郵便局、警察分署の誘致、灌漑事業、農業振興、銀行や電灯会社の設立、 干しえび業漁業の振興や教育などあらゆる面において近代小野田発展の基盤を築き「笠井順八さんは、人夫か社長か、ごみにまみれて共稼ぎ」を謡われた。 大正8年84歳で没した。生前早く藍綏褒章を受け、昭和55年小野田市名誉市民第1号に推拳した。 若山公園に頌徳碑、住吉公園に石造の座像が建ち「小野田の父」の面影を伝えている。
作成者:藤谷 佳代